2012年2月22日水曜日

Seafarers Ale @ Old Bank of England*

この写真はパブの西側から撮ったものなので
セントポール大聖堂はこの方向にあります。
    セントポール大聖堂を出てフリートストリートに向かって歩きながら、どの駅から地下鉄に乗って帰宅しようか考えつつ通りを眺めていたら、10年くらい前に入ったオールド・バンク・オブ・イングランドというパブが目の前に見えて来ました。既に午後4時半過ぎようという時間でしたが、ダンナ様はまた残業で早くは帰らないだろうし、最近ビールの話題をここに提供していないし、ランチをせずにジョンソン博士の家セントポール大聖堂を回り、そろそろエネルギー補給したいと思っていた所だったので調査してみる事に。言い訳ではありませんが、カフェインを全く受け付けない体を持つ私はディカフェのコーヒーや紅茶を頂くことが出来ず、最近ではコーヒーの香りすらも気持ち悪くなってしまうので、カフェでランチをする事もままならない為に、パブにたどり着く事が多々あります。


    名前にバンク・オブ・イングランドとあるので、イングランド銀行が以前にここにあったのかしらと思いたくなりますが、そうではない様で(イングランド銀行は1694年に創設されて以来、バンク駅周辺のシティ中心に所在しています。)名前の由来に関しては宿題とさせて頂きますが、店内の造りからすると以前銀行であった事が分かります。ここに限らずイギリスのあちこちで元銀行だった建物がレストランになったりパブになったりしていますが、ビクトリア調の高い天井が大好きな私にとっては、そのインテリアもビールの味を左右しかねません。(笑)
    ここはロンドンにあるフラーズというビール醸造所が所有又は提携しているパブなので、フラーズのビールが所狭しと並んでいます。奥から、ロンドンポーター、ESB、ディスカバリー、シーフェラーズ、チズウィック、ロンドンプライド、少し離れてハニーデュー。フラーズファンとしては何ともすばらしい眺めです。


    基本的な私のマイビールはロンドンプライド4.1%なのですが、それよりもアルコール度数が低い上に、日持ちも良く、いつもある訳ではないシーフェラーズ3.6%が最近の私のマイビールとなっています。
    お味の方は、一杯目に頂くビールに最適な穏やかな味わいで、ホップもモルトも主張し過ぎず、食事なしでビールを堪能するには最適です。このパブは大丈夫でしたが、このビールは冷えていると、このほのかな味わいが消えてしまうので、もし冷えたシーフェラーズが出てきたら、最初は手のひらで温めながら召し上がって下さい。
    そろそろエネルギー摂取を求め始めていた体に、美味しいビールを主食の様に頂く私はやっぱりゲルマン民族だったのでは?と思いを馳せていたら、こういう日に限ってダンナ様から「電話会議がキャンセルになったから今日は早く帰る」とメール。料理はダンナ様がするものの、買出しは私の仕事なので、ビールを無駄には出来ないと思いつつ時間を逆算しながら早々に帰路に発ちました。

注釈* - ここでは店名をOld Bank of Englandと表記しましたが、インターネットのページによってはThe Old Bank of Englandと表記される場合もあります。また、ビールの日本語表記は呼称で、正式名称は下記の英語表記となります。

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Old Bank of England
194 Fleet Street
London EC4A 2LT England

http://www.fullers.co.uk/rte.asp?id=4&itemid=192&task=View

Seafarers Ale 3.6%
http://www.fullers.co.uk/rte.asp?id=140

イングランド銀行 - Bank of England
シーフェラーズ - Seafarers Ale
ジョンソン博士 - Dr Samuel Johnson
セントポール大聖堂 - St. Paul's Cathedral

チズウィック - Chiswick Bitter
ディスカバリー - Discovery
ハニーデュー - Organic Honey Dew
フラーズ - Fuller, Smith & Turner P.L.C.
フリートストリート- Fleet Street

ロンドンプライド - London Pride
ロンドンポーター - London Porter
  

セントポール大聖堂 その1

    ジョンソン博士の家を訪れた後にセントポール大聖堂へ。フリートストリートへ戻り、東へ向かうと既にセントポール大聖堂のドームが見えてきます。フリートストリートからセントポールチャーチヤードと通りの名前が変わり、この通りに残る昔ながらのお店を眺めながら歩いていると気がつけば目の前に巨大な建物がそびえています。
    抗議行動を続けている人たちのテントが張られていて、その方達用なのか大きなゴミ箱らしきものがあって、これ以上後ろにさがるとそのゴミ箱が写ってしまうので、今日の所はこんな感じのアングルです。館内は写真撮影禁止なので、ここから先は皆さんのご想像にお任せします。
    先日発見したのですが、ロンドン在住であれば、入場料14.50ポンドで1年間入場可能なチケットが購入出来るとの事。近所に来た時に訪れようと思いながら今日になり、最終入場が午後4時なのに既に午後3時近かったのですが、1年間有効なチケットでまた来訪すれば良いと思い行ってみました。
    90分の無料ガイドツアーが日に何度かあり、本日最終のガイドツアーは終わっていたのですが、ボランティアのガイドの都合が合えば15分から30分位のツアーをお願いする事も出来るので、インフォメーションに行ってみました。運よく学校の先生をしていたというボランティアに一階部分の説明をマンツーマンでガイドして頂きました。
    とても大きな大聖堂なので30分で全ての説明を受ける事は難しいのですが、この大聖堂の設計者クリストファー・レンの苦悩や、第二次世界大戦時ドイツの空襲によって北袖廊のドームから降ってきた爆弾で破壊された写真、更にはドーム頭上にあるモザイクひとつひとつに角度をつけて光の反射をコントロールしていたり、ガイドつきではないと入れない場所に入れて頂いたり、マンツーマンでもあったので、女性特有のくだらないおしゃべりもしながら、あっという間の30分でした。

   唱詠晩祷(evensong)が午後5時からで午後4時半には閉館してしまうので、ガイドして頂いた後に囁きの回廊ではなく地下にあるクリプトと呼ばれる地下室へ。ここにはイギリスに貢献したたくさんの方の記念碑や墓所などがあります。イギリス18-19世紀の画家JMW・ターナーが、自分の遺体をセントポール大聖堂に眠るジョンソ博士の友人でもあるロイアルアカデミー初代会長のジョシュア・レイノルズの隣に埋葬して欲しいと遺言に残した事は有名で、百聞は一見にしかずとばかり一番奥の南東の角へ。
    日本人の感覚からすると墓石の上を歩くとは罰の当たりそうな行為ではありますが、薄暗い地下室の床のあちらこちらに墓石があり、国が違うとはいえ何とか踏まずに歩けないものかと、それでなくてもデコボコな薄暗い廊下を怪しいアジア人がよたよた歩いていると思われてるかしらと思いながら南東の角へ到達。あまり目が良い方ではないのですが、あまりにも薄暗くて足元にある墓石に体を屈めながら、比較的痛みの少ない白っぽいターナーの墓石を発見。
    同じ並びに材質の違う墓石がいくつかあり、右からレイノルズ、ジェイムス・バリー、ターナー、ジョン・エヴァレット・ミレイと亡くなった順にイギリスの画家たちが並んでいて、同じ並びではあるものの、ターナーはレイノルズの同じ並びではあるものの隣ではない事を発見。てっきり隣に並んでいる事を想像した私はちょっと驚いてしまいましたが、バリーが亡くなったのは1806年でその年には埋葬されているので、1851年に亡くなったターナーはバリーの隣になる事を知っていたのでしょうか?現在レイノルズの右隣には、近くにある礼拝堂用の椅子が並んでいますが、そこには墓石らしきものはありません。私だったらどちらにしても人に踏まれる位なら椅子の下でも良いので隣に埋葬して欲しいなぁと思いますが、そう思うのは私だけでしょうか。

    地上に上がると午後4時を過ぎたくらいなのに既に片付けが始まっていて、早く退館して下さいと言わんばかりに見えないプレッシャーをかけられ、主祭壇に一礼をし大聖堂を後にしました。どちらにしても1日では回りきれないほどの大きさなので、また日を改めて訪問しようと思います。
   学校の先生だったガイドさんに、「夏が来ると混んで来るから夏前にまたいらっしゃい」と声をかけられ「また近いうちに来ます」と返しました。もう3月だという事を考えても本当に早々に再来館しないと混んできてしまいます。

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St Paul's Cathedral
St Paul's Churchyard
London EC4M  8AD England

クリストファー・レン - Christopher Wren
クリプト - Crypt
ジェイムス・バリー - James Barry
ジョン・エヴァレット・ミレイ - Sir John Everett Millais
ジョシュア・レイノルズ - Sir Joshua Reynolds
ジョンソン博士 - Dr Samuel Johnson
JMW・ターナー - Joseph Mallord William Turner RA
セントポールチャーチヤード - St Paul's Churchyard
フリートストリート- Fleet Street
  

ジョンソン博士の家

   今日は以前から興味のあったジョンソン博士の家へ。まるで友人宅に遊びにいったかの様ですが、ジョンソン博士とは18世紀に英語辞典を編集した事で有名で、その辞典を作成した家がロンドンのシティエリアの西端に未だに残っています。20世紀初頭には建物の痛みが激しかった為に過去の面影を残しつつ修復工事がなされ、更には徒歩圏内にあるセントポール大聖堂と同じく第二次世界大戦中に空爆を受けているので、戦後にも修復作業がなされた状態の建物ではありますが、18世紀にジョンソン博士らが活動していた姿が容易に想像できる建造物となっています。
   ジョンソン博士に興味があったというよりは、ジョンソン博士は紅茶好きでも有名で、ジョンソン博士の友人がジョンソン博士をもてなした時に使っていたといわれる18世紀当時のティーポットがここに展示されており、更にはジョンソン博士が同世代のイギリス画家でロイアルアカデミー初代会長のジョシュア・レイノルズの友人だった事を知り、行ってみる事に。


   チャリングクロスからテムズ川沿いに東へ伸びるストランドという通りが王立裁判所の前辺りまで続き、そこからセントポール大聖堂の手前の大きな交差点まで続くフリートストリートとという通りの真ん中辺りに位置しています。フリートストリートから北側に道を一本入るのですが、車は無論のこと、向こうから肉付きの良い紳士がやってくると体を縦にしたくなる様な細い薄暗い道を通り抜け、更に左手方向にしばらく行くとスクエアが開けていて、その左手奥にジョンソン博士の家がありました。


    過去には正面に見える入り口が玄関だったと思われますが、現在の入り口は向かって左にある門を通った建物脇にあり、呼び鈴を押すと鍵を開けてくれます。
    扉を開けると目の前にリタイア後ボランティアで活動しているのであろうご婦人が受付に座っていて、「建物の中もご覧になる?」とばかりに問いかけられました。ほとんど人気がなく静まり返っているので、イギリスお決まりの天気の話をしながら、「ジョンソン博士はここにどの位住んでいらしたんでしたっけ?」と、あまり意味もなく聞いてみました。「えっと、確か・・・」とすぐ答えが出て来ない様で、そんな質問をしてしまった私は申し訳なさに「辞典を作られた時期にいらしたのでしょうから10年前後なのでしょうね。」と助け舟を出してみたものの、そのご婦人は顔を赤くしマニュアルをパタパタとめくり、「今日で2日目なので良く分からなくてねぇ。」との返答。「誰にでも初日はありますから・・・。」と言いながら4.50ポンドを支払い、まずはティーポットのある2階*へ。

   カフェインのため全くコーヒー紅茶を楽しむ事が出来なくなった私ですが、20代の頃は茶器が好きで貯金が出来る度に茶器を買い揃え、いつか小さなヴィクトリアン調の飾り棚に飾りたいと思いながら今でも取り出しては眺めている私なので、18世紀のティーポットをアンティークのテレビ番組で初めて見た時は本物も見てみたいと 
思いました。この時代、紅茶は高級品であった為か、ティーカップが現在のそれより一回り小さく、ティーポットは更に小さいサイズで、注ぎ口の部分が銀で出来ています。製造者を確認せずに来てしまいましたが、その時代に流行った中国製茶器のデザインを真似て作ったヨーロッパ製の茶器のように見えます。銀製品磨きが好きな私にぜひ注ぎ口を磨かせて欲しいです。

   そのすぐ脇に、その当時、ジョンソン博士をはじめレイノルズ、エドマンド・バーク、オリヴァー・ゴールドスミスらが文学クラブと呼んで週に一度集っていた会の版画がありました。現物の写真も撮ったのですが、光の反射でうまく取れませんでしたので、ポストカードを入手しました。向かって左からジェイムス・ボズウェル、ジョンソン博士、レイノルズ、バーク、ディビット・ギャリック、パスカル・パオリ、チャールズ・バーニー、トマス・ワートン、ゴールドスミス。レイノルズ宅での様子です。

    最後に辞典のある最上階の4階*へ。この部屋は英語でgarret - 屋根裏部屋とされているので、もっと狭い部屋を想像していましたがそうでもなく、ここで6人の弟子達と辞典の編集作業を中心に行っていたとか。右手奥に見えるテーブルの上には辞典の初版の複製があり、自由に閲覧出来る様になっています。
最も有名な単語はオートミールの「オート」で、

oats; A grain, which in England is generally given to horses, but in Scotland support the people.
オート(燕麦);穀物の種類で、イングランドでは馬にエサとして与え、スコットランドでは人々が食している。


    ジョンソン博士はスコットランド人嫌いで有名なのですが、弟子のほとんどはスコットランド人で、そのうちの一人、後にジョンソン博士の伝記を残した事で有名なジェイムズ・ボズウェルはこの単語の解釈をみて、

Which is why England is known for its horses and Scotland for its men.
だからこそ、イングランドは優良な馬で有名で、スコットランドは優秀な人材で有名である。

    とやり返したとの事。ここにあったであろう長テーブルを囲んでそんな会話が交わされたのでしょう。どの時代になってもイングランド人とスコットランド人の間に流れるものはあまり変わらないのかもしれません。

注釈 * - イギリスでは日本の1階部分をグランドフロア(ground floor)と呼ぶため、ここで言う2階はイギリスではファーストフロア(first floor)、4階はサードフロア(third Floor)となります。
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Dr Johnson's House
17 Gough Square
London EC4A 3DE England

http://www.drjohnsonshouse.org/index.htm

エドマンド・バーク - Edmund Burke
王立裁判所 - Royal Courts of Justice
オリヴァー・ゴールドスミス - Oliver Goldsmith
ジェイムス・ボズウェル - James Boswell
ジョシュア・レイノルズ - Sir Joshua Reynolds
ジョンソン博士 - Dr Samuel Johnson
ストランド - Strand
セントポール大聖堂 - St. Paul's Cathedral
チャリングクロス - Charing Cross
ディビット・ギャリック - David Garrick
チャールズ・バーニー - Charles Burney
トマス・ワートン - Thomas Warton
パスカル・パオリ - Pasquale di Paoli
フリートストリート- Fleet Street