2010年4月25日日曜日

ビールとエールとラガーとビター その2

 
前回の「ビールとエールとラガーとビター その1」の続きです。

 前回は現代のビールとエールとラガーとビターの言葉の解釈を述べましたが、今日は少しばかり過去にさかのぼってみたいと思います。イギリスエールの歴史の中で、大きな影響を与えたもののうちのひとつが「ホップ」であることから、まずはホップがイギリスに導入された辺りの時代にさかのぼってみようと思います。

  ここでいう“ビール“とは特に表記がない限り、前回の現代の解釈で記したビール(大意のビール)の意味として用いています。

 オランダ人やベルギー人によってホップを製法に用いたビールがイギリスにもたらされたのは、15~16世紀の頃とされています。その当時は、イギリス人がもともと愛飲していたホップを使わないビールを「エール」とし、ホップを使った新しいビールを「ビール」と呼んで使い分けていた時期、地域があったそうです。

エール - ホップの入っていないビール
ビール - ホップの入ったビール

 この外国人が持ち込んだホップを使った「ビール」がイギリスでも作られ始めた頃は、イギリス人はこのホップ入りのビールをなかなか受け入れる事が出来ませんでした。今となっては考えにくい事ですが。その大きな理由は2つあると思います。

 1つは、純粋に味に対する慣れや嗜好の問題。イギリスには十分に美味しい慣れ親しんだ「エール」が既に存在していた訳ですし、さらには元来保守的な傾向にあるイギリス人が、わざわざそれに混ぜ物をする必要はないと思ったとしても不思議はありません。

 もうひとつは、経済的な問題です。「ビール」が広く飲まれることとなれば、「エール」の生産や販売に関わる人たちにとっては死活問題だったはずです。ホップ入りの「ビール」がイギリスで流行り始めた頃、外国人が持ち込んだ新しい「ビール」に対する風当たりは相当厳しかったようです。

 ある時は「エール」醸造者で作られた組合によって嘆願書が出され、昔から伝わるイギリスエールの醸造にホップや他のハーブを混入してはならないという禁止令が出されました。それに逆らってエールにホップを混入させた者には罰金が科されたそうです。また、カトリック教徒だったのにも拘らず6人の奥さんを持った事で有名なヘンリー8世も、お城の醸造者にホップの使用を禁じました(ヘンリー8世の場合はカトリックローマ教会から破門された事に対抗して修道院の解体を進めたいという意味も含まれていたのでしょう)。

 このようなお話は実はイギリスに限ったことではなく、ドイツでは「グルート」というビールがすでに存在し、利権がからんでホップのグルートへの使用を厳しく禁じる法律が作られました。

 時を同じくした15世紀ごろ、ドイツの南部のミュンヘンでは新しい醸造方法が編み出され、“貯蔵”を意味するラガーという言葉が生まれました。

ラガー - 4~13℃の低温でじっくり長期間発酵させる下面発酵の醸造方法で造られたビール

 但し、この時期造られたラガーは赤みのある琥珀色のビールで、現在私たちが思い浮かべるラガーの様に透き通った黄金色になるのは、いまやラガーを代表するビールであるピルスナーが登場する1842年まで待たなくてはなりませんでした。

 次回は「ビター」について書こうと思ったのですが、その前に「ポーター」やフランス人の「ルイ・パスツール」について書こうかなぁと思っていますが、まだ決めていません。

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