2010年4月16日金曜日

フォリー・ベルジェールのバー 解説 1/3


  フォリー・ベルジェールのバーについて先日少し書きましたが、私の知人、Charlie氏がその絵の解説を書いて下さいました。ありがとうございます。絵画に関して知識のない私向けに、時代背景も含め、丁寧にご説明下さっています。3部構成になっていますので、今日から三夜連続3回に分けて紹介させて頂こうと思います。

  あまり絵にご興味のない方でもぜひビール片手にご覧になってみて下さい。この解説を読んだ後に再度絵を眺めると、色々なものが見えてきて、本当に素敵な絵である事を再認識させられます。文中の関連事項にはご参考までにリンクをはりました。

ぜひ感想をお聞かせ下さい。
まれにコメントボタンがうまく作動しないときがあります。その際はEメール頂ければ幸いです。
Email to: elizabeth.shikibu@gmail.com

-------------------------------------------------------------------------------


「フォリー・ベルジェールのバー」

  「フォリー・ベルジェールのバー」は、ロンドンを訪れる時に必ず再会する事を決めている二枚の絵のうちの一枚です。自分が何故この絵にここまで魅かれるのか、「バーメイド」、「コラージュ的構成」、この絵が飾られている「コートールド・インスティチュート美術館」という三部構成でお伝えしたいと思います。お時間のある方は少しお付き合いをいただけますでしょうか。

バーメイド

この絵の中央に描かれているバーメイド(女性のバーテンダー)の物憂げな眼差しに、吸い込まれる様な気持ちになるのは自分だけではないでしょう。絵がお好きな方はご存知の通り、この絵を描いたエドゥアール・マネ(Édouard Manet、1832-1883)は、モネ(1840-1926)、ルノワール(1841-1919)、あるいは、ドガ(1834-1917)、セザンヌ(1839-1906)らとともに、19世紀後半から20世紀初頭にかけて広がった、それまでの伝統的な絵画の在り方に反旗を翻した「印象派」と呼ばれる潮流を代表する画家の一人です。この絵は、マネが亡くなる直前の1882年にかけて描かれました。既に病気のために歩くことすらままならない有様で、この絵を描くためにアトリエにセットを組み、モデルが呼び込まれたそうです。自分の余命が長くはないことを意識していた彼は、この絵が自分にとって最後の絵になるかもしれないとの思いがありました。マネはこの絵を描き上げた翌年、1883年にパリで亡くなりました。

この絵の舞台は、カフェ・コンセールと呼ばれる、出し物を見ながらお酒を楽しめるお店です。そこのバーが描かれています。19世紀の後半にパリで広がったこの種のお店は、しばしばマネの絵の題材とされてきました。絵からも一種の社交場といった雰囲気が伝わってきます。盛装に身を包んだ人々でごった返し、賑やかな雰囲気の中、観客席の最前列にはオペラ・グラスを掲げ、出し物に見入る女性の姿も見えます。

しかし、マネが主題として描こうとしたのは、その様な華やかな光景ではなく、むしろ、一人沈黙するバーメイドでした。マネは、この絵の下絵として習作を残していますが、そこに描かれた女性は、もっと艶めかしく、そして絵の正面を向いていません。マネはこのバーメイドを意図的に絵を見る人たちに正対させるとともに、素朴で物憂げな表情を与え、描き込みました。特に髪の毛や襟周りのレースは丁寧に描かれています。

このバーメイドが身に付けている給仕服は、マネが好んだ黒色です。しかし、それは、「笛を吹く少年」(1866)や「アトリエの昼食」(1868)、あるいは「エミール・ゾラの肖像」(1868)に見られる浮世絵の影響を受けたと言われる漆黒の平面ではなく、明るいトーンの白色によって陰影を与えられた生き物として描かれています。強いて言えば、「菫の花束を付けたベルト・モリゾ」(1872)の着衣に用いられた画法に近いものが感じられます。モリゾは印象派を代表する女性画家の一人ですが、画家として9歳年上のマネの影響を受けるとともに、この絵が描かれた2年後にはマネの弟のウジェーヌと結婚するなど、マネと近しい関係にありました。この絵のモリゾの表情には陰影が明確に与えられ、「マネらしくない」と言われているようですが、こちらの「フォリー・ベルジェールのバー」のバーメイドの表情にもきちんとした陰影が、より詳細なタッチで描かれています。

マネが自分の死を意識した絵の中で、「マネらしくない」画法を用いたことに、マネの思いが垣間見られるように感じられます。「草上の昼食」(1863)や「オランピア」(1863)などによって、スキャンダラスな画家というレッテルを貼られ、また、平面的な表現に革命家という称号を贈られたマネでしたが、そんな彼が、その時そのままの感動を飾らない言葉で語りかけてくることに、少し驚きを感じながら素直に共鳴することができます。恐らく、モリゾを描いた時も、そのままの彼女を残したいという気持ちが、絵の構成表現に関する意識を上回ったのではないでしょうか。その切実さが、私の心を揺さぶるのだと思っています。

to be continued ....

フォリー・ベルジェールのバー 解説 2/3

 

0 件のコメント:

コメントを投稿