2012年2月22日水曜日

ジョンソン博士の家

   今日は以前から興味のあったジョンソン博士の家へ。まるで友人宅に遊びにいったかの様ですが、ジョンソン博士とは18世紀に英語辞典を編集した事で有名で、その辞典を作成した家がロンドンのシティエリアの西端に未だに残っています。20世紀初頭には建物の痛みが激しかった為に過去の面影を残しつつ修復工事がなされ、更には徒歩圏内にあるセントポール大聖堂と同じく第二次世界大戦中に空爆を受けているので、戦後にも修復作業がなされた状態の建物ではありますが、18世紀にジョンソン博士らが活動していた姿が容易に想像できる建造物となっています。
   ジョンソン博士に興味があったというよりは、ジョンソン博士は紅茶好きでも有名で、ジョンソン博士の友人がジョンソン博士をもてなした時に使っていたといわれる18世紀当時のティーポットがここに展示されており、更にはジョンソン博士が同世代のイギリス画家でロイアルアカデミー初代会長のジョシュア・レイノルズの友人だった事を知り、行ってみる事に。


   チャリングクロスからテムズ川沿いに東へ伸びるストランドという通りが王立裁判所の前辺りまで続き、そこからセントポール大聖堂の手前の大きな交差点まで続くフリートストリートとという通りの真ん中辺りに位置しています。フリートストリートから北側に道を一本入るのですが、車は無論のこと、向こうから肉付きの良い紳士がやってくると体を縦にしたくなる様な細い薄暗い道を通り抜け、更に左手方向にしばらく行くとスクエアが開けていて、その左手奥にジョンソン博士の家がありました。


    過去には正面に見える入り口が玄関だったと思われますが、現在の入り口は向かって左にある門を通った建物脇にあり、呼び鈴を押すと鍵を開けてくれます。
    扉を開けると目の前にリタイア後ボランティアで活動しているのであろうご婦人が受付に座っていて、「建物の中もご覧になる?」とばかりに問いかけられました。ほとんど人気がなく静まり返っているので、イギリスお決まりの天気の話をしながら、「ジョンソン博士はここにどの位住んでいらしたんでしたっけ?」と、あまり意味もなく聞いてみました。「えっと、確か・・・」とすぐ答えが出て来ない様で、そんな質問をしてしまった私は申し訳なさに「辞典を作られた時期にいらしたのでしょうから10年前後なのでしょうね。」と助け舟を出してみたものの、そのご婦人は顔を赤くしマニュアルをパタパタとめくり、「今日で2日目なので良く分からなくてねぇ。」との返答。「誰にでも初日はありますから・・・。」と言いながら4.50ポンドを支払い、まずはティーポットのある2階*へ。

   カフェインのため全くコーヒー紅茶を楽しむ事が出来なくなった私ですが、20代の頃は茶器が好きで貯金が出来る度に茶器を買い揃え、いつか小さなヴィクトリアン調の飾り棚に飾りたいと思いながら今でも取り出しては眺めている私なので、18世紀のティーポットをアンティークのテレビ番組で初めて見た時は本物も見てみたいと 
思いました。この時代、紅茶は高級品であった為か、ティーカップが現在のそれより一回り小さく、ティーポットは更に小さいサイズで、注ぎ口の部分が銀で出来ています。製造者を確認せずに来てしまいましたが、その時代に流行った中国製茶器のデザインを真似て作ったヨーロッパ製の茶器のように見えます。銀製品磨きが好きな私にぜひ注ぎ口を磨かせて欲しいです。

   そのすぐ脇に、その当時、ジョンソン博士をはじめレイノルズ、エドマンド・バーク、オリヴァー・ゴールドスミスらが文学クラブと呼んで週に一度集っていた会の版画がありました。現物の写真も撮ったのですが、光の反射でうまく取れませんでしたので、ポストカードを入手しました。向かって左からジェイムス・ボズウェル、ジョンソン博士、レイノルズ、バーク、ディビット・ギャリック、パスカル・パオリ、チャールズ・バーニー、トマス・ワートン、ゴールドスミス。レイノルズ宅での様子です。

    最後に辞典のある最上階の4階*へ。この部屋は英語でgarret - 屋根裏部屋とされているので、もっと狭い部屋を想像していましたがそうでもなく、ここで6人の弟子達と辞典の編集作業を中心に行っていたとか。右手奥に見えるテーブルの上には辞典の初版の複製があり、自由に閲覧出来る様になっています。
最も有名な単語はオートミールの「オート」で、

oats; A grain, which in England is generally given to horses, but in Scotland support the people.
オート(燕麦);穀物の種類で、イングランドでは馬にエサとして与え、スコットランドでは人々が食している。


    ジョンソン博士はスコットランド人嫌いで有名なのですが、弟子のほとんどはスコットランド人で、そのうちの一人、後にジョンソン博士の伝記を残した事で有名なジェイムズ・ボズウェルはこの単語の解釈をみて、

Which is why England is known for its horses and Scotland for its men.
だからこそ、イングランドは優良な馬で有名で、スコットランドは優秀な人材で有名である。

    とやり返したとの事。ここにあったであろう長テーブルを囲んでそんな会話が交わされたのでしょう。どの時代になってもイングランド人とスコットランド人の間に流れるものはあまり変わらないのかもしれません。

注釈 * - イギリスでは日本の1階部分をグランドフロア(ground floor)と呼ぶため、ここで言う2階はイギリスではファーストフロア(first floor)、4階はサードフロア(third Floor)となります。
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Dr Johnson's House
17 Gough Square
London EC4A 3DE England

http://www.drjohnsonshouse.org/index.htm

エドマンド・バーク - Edmund Burke
王立裁判所 - Royal Courts of Justice
オリヴァー・ゴールドスミス - Oliver Goldsmith
ジェイムス・ボズウェル - James Boswell
ジョシュア・レイノルズ - Sir Joshua Reynolds
ジョンソン博士 - Dr Samuel Johnson
ストランド - Strand
セントポール大聖堂 - St. Paul's Cathedral
チャリングクロス - Charing Cross
ディビット・ギャリック - David Garrick
チャールズ・バーニー - Charles Burney
トマス・ワートン - Thomas Warton
パスカル・パオリ - Pasquale di Paoli
フリートストリート- Fleet Street
  

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